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シンガポールプレミアリーグ(SPL)とは
シンガポールプレミアリーグは、1996年から開催されているシンガポールのプロサッカーリーグです。
現在はシンガポールにある7チームに、日系チームであるアルビレックス新潟シンガポール、ブルネイ王国のDPMM FCを加えた合計9チームによる3回戦総当たりでリーグチャンピオンを競います。
2018年まではSリーグと呼ばれており、2019年に現在のシンガポールプレミアリーグへと名称が変更されました。
大会レギュレーション
アルビレックス新潟シンガポールのみを対象とした以下のレギュレーションのもと、リーグ戦を戦っています。
- 日本人選手は原則として23歳以下、そのうちの4名を21歳以下とする(シンガポール人の選手登録に年齢制限はない)
- 日本人選手のオーバーエイジ枠として1名の登録を認める
- 前半45分間は最低1名のシンガポール人選手出場を必須とする
2023年参加9チーム
チーム名 | 呼称 |
---|---|
Albirex Niigata FC (S) | アルビS |
Belestier Khalsa FC | バレスティア |
Brunei DPMM FC | ブルネイ |
Geylang International FC | ゲイラン |
Lion City Sailors FC | セイラーズ |
Hougang United FC | ホーガン |
Tanjong Pagar United FC | タンジョン パガー |
Tampines Rovers FC | タンピネス |
Young Lions | ヤングライオンズ |
歴代チャンピオン
年 | チーム名 |
---|---|
2022 | アルビレックス新潟シンガポール |
2021 | ライオンシティ セイラーズ |
2020 | アルビレックス新潟シンガポール |
2019 | ブルネイDPMM |
2018 | アルビレックス新潟シンガポール |
2017 | アルビレックス新潟シンガポール |
2016 | アルビレックス新潟シンガポール |
2015 | ブルネイDPMM |
2014 | ウォーリアーズ |
2013 | タンピネス・ローバーズ |
2012 | タンピネス・ローバーズ |
2011 | タンピネス・ローバーズ |
2010 | エトワール |
2009 | SAF FC |
2008 | SAF FC |
2007 | SAF FC |
2006 | SAF FC |
2005 | タンピネス・ローバーズ |
2004 | タンピネス・ローバーズ |
2003 | ホーム・ユナイテッド |
2002 | SAF FC |
2001 | ゲイラン・ユナイテッド |
2000 | SAF FC |
1999 | ホーム・ユナイテッド |
1998 | SAF FC |
1997 | SAF FC |
1996 | ゲイラン・ユナイテッド |
あゆみ
開幕に先立って、Sリーグオールスターとタイ代表の親善試合が、55,000人のファンと当時の首相ゴーチョクトンが見守るなか行なわれた。試合は1-1の同点からPK戦に入り、最後はタイが勝利するが、会場は大いに盛り上がった。
1996年 |
タイガービールシリーズとパイオニアシリーズの2シリーズの勝者同士がグランドファイナルへ進出する方式。
開幕は4月20日、グランドファイナルは11月9日。 Geylang United FCが2-1でSAF FCを下し初代チャンピオンになり、また翌週に行われたFA Cupも制し、2冠達成。 |
1997年 | 1シーズン制となるが、同時にリーグカップ(タイガービール・リーグカップ)が始まる。 |
1998年 |
代表チームがタイガーカップで優勝(メジャートーナメント初優勝)するという快挙があったが、
その一方、財政難でいくつかのクラブが存亡の危機に。 |
1999年 | 外国籍選手枠を、3人から5人に拡大(現在は4人)。 |
同年 | サッカーくじが合法化。Sリーグとフットボールの発展に資金面で貢献することとなる。 |
2001年 | 12チームの3回戦制へ。 |
2003年 | 海外クラブが初めて参戦。中国からShinchi FCと、またU-23シンガポール代表の「Young Lions」が参戦。 |
2004年 |
AFCカップでHome United FCとGeylang United FCがいずれもベスト4に進出(シンガポールのクラブで初)。
アルビレックス新潟Sが参戦開始! |
2006年 | 12チームの3回戦制。アフリカよりSporting Afriqueが参戦。 |
2007年 | 12チームの3回戦制。Sporting Afriqueが撤退。韓国よりKorean Super Reds FCが参戦。 |
2008年 |
12チームの3回戦制。中国より参戦のLiaoning Guangyuan FCが撤退。
一方で同じく中国よりDalian Shide Siwuが参戦。 |
2009年 |
12チームの3回戦制。中国より参戦のDalian Shide Siwuが撤退。
ブルネイよりBrunei DPMM FCが参戦(シーズン中に除名)。 |
2010年 |
12チームの3回戦制。韓国より参戦のKorean Super Reds FCが撤退。
中国よりBeijing Guoan FC、フランスよりEtoile FCが参戦。 |
2011年 |
12チームの3回戦制。中国より参戦のBeijing Guoan FCが撤退。
2004年に一度撤退したTanjong Pagar United FCが復帰。 |
2012年 |
13チームの2回戦制。フランスより参戦のEtoile FCが撤退。
2009年に除名となったBrunei DPMM FCが復帰。さらにU-23マレーシア代表チーム「Harimau Muda」が参戦。 |
2013年 | 12チームの2.5回戦制。Gombak United FCが不参加。 |
2014年 | 12チームの2.5回戦制。 |
2015年 | 10チームの3回戦制。Hougang United FCとWoodlands Wellington FCが合併。Tanjong Pagar United FCが不参加。 |
2016年 | 9チームの3回戦制。Harimau Mudaが不参加。 |
2017年 | 9チームの3回戦制。 |
2018年 | 9チームの3回戦制。 |
2019年 | 9チームの3回戦制。 |
2020年 | 8チームの2回戦制。Warriors FCが除名となった一方、Tanjong Pagar United FCが2014年以来のリーグ復帰を果たした。 その他、ホーム ユナイテッドFCがライオンシティ セイラーズFCに改名したほか、新型コロナウイルスの影響によりブルネイDPMM FCが参加を断念した。 |
2021年 | 8チームの3回戦制。新型コロナウイルスの影響によりブルネイDPMM FCが不参加。 |
2022年 | 8チームの4回戦制。新型コロナウイルスの影響によりブルネイDPMM FCが不参加。 |
2023年 | 9チームの3回戦制。ブルネイDPMM FCがリーグ復帰。新たにVARシステムが導入される。 |
シンガポールサッカー協会の意欲的な取り組み
シンガポールサッカー協会は、2010年ワールドカップ出場を目標とした“GOAL2010”と称する強化活動を掲げていたが、その目標はひとまず取り下げ、“Step by Step”として、強化と普及の両面にわたってさまざまな取り組みを行なっている。
2000年8月13日よりU-14~U-18のタレントを集めた“エリート教育”制度を開始。
Jalan Besar Stadiumで生活し、フットボールだけでなく学習面でのサポートを受け、年齢別のリーグや海外のトーナメントに参加する。教育省=MOE(Ministry of Education)や地域開発省=MCDS(Ministry of Community Development and Sports)、スポーツカウンシル、スポーツスクールとも連携している。
- Foreign Sports Talent(FST) Scheme 外国籍を持つ優秀な選手について、積極的に帰化を勧めるプログラム。
Youth Development Programを補完するものとして2000年に開始。
最初のFSTSは2002年1月に導入。 これまで8人の選手に適用され、シンガポール代表として活躍している。 - ミニフットボール 2002年よりはじまった、7~12歳対象のSunday Mini Football programme
- コミュニティ・プログラム 2004年よりはじまったコミュニティづくりのためのプログラム
シンガポールにおけるサッカーの始まり
1889年 英国のエンジニアがTank Rod pitchでプレーした。
1800年代最後の四半世紀には、英国陸軍や英国市民、地元クラブ定期戦が行なわれるようになった。
SAFA(the Singapore Amateur Football Association)創設(1892)
1892年 | アジア最古のサッカー協会としてSAFA誕生 |
1894年 | ジョホールとシンガポールの親善試合が行なわれた記録あり |
同年 |
カップ戦(the Association Challenge Cup)開催、Royal Engineersが優勝
その後の優勝チームには、Lincolns、Royal Artillery(英国砲兵隊)、Fusiliers(フュージリア連隊)、Singapore Cricket Club、Harlequins(ひょうきん者)等がある |
1904年 |
シンガポール・フットボール・リーグ(SFL)創設
初代王者は、The 1st Battalion Manchester Regiment(マンチェスター連隊第一大隊) ※これらはヨーロッパ人が優勢だったが、地元民も民族間のフレンドリーマッチを行なっていた |
1901
~1913年 |
セランゴル(マレーシア)とシンガポールの親善試合 |
1925年 | シンガポールの華人がリーグ制覇 |
1934年 | シンガポールのマレー人がリーグ制覇 |
※Sino-Malays … 華人とマレー人の各サッカー協会所属の優秀選手による即席チームがオーストラリアと戦い、4-2で勝ったという記録もある
マラヤカップ誕生とシンガポールサッカーの発展
1921年 | HMS Malaya(マラヤ・英国陸海空軍)が着任 |
同年 |
HMS Malaya Cup(後にMalaysian Cup)創設
シンガポールがSelangor(マレーシア)を2-1で下して優勝(1994年までに通算22回優勝) ※両チームには多くのヨーロッパ人が含まれていた |
1925年 |
マラヤカップをシンガポールで開催
シンガポールはSelangorを2-1で破って優勝 ※マレーシアカップの人気に劣らず、シンガポール国(?)内のサッカーも充実していた。 Governmnent Services Leagueや、Business Houses Leagueの他、多くの地域カップやリーグあった。 |
戦後サッカーの復興(1950年代)
※シンガポール・フットボール・リーグ 新興チームの台頭
(Darul Afiah / Tiger Standard / Pasir panjang Rovers / Royal Air Force等)
※ビジネスハウス・リーグ 大企業にとって魅力的なリーグ
(Cold Storage / Guthrie Waugh / Singapore Airlines / Fraser and Neave / Malayan Breweries等)
1952年 | SAFAはFASとなる。 |
1953年 | シーズン末に、ビジネスハウスリーグ選抜がマレーシアの州代表やSino-Malaysを招いてFeith Cupを開催するようになった。 |
1954年 | AFC誕生 … シンガポール、アフガニスタン、ビルマ、中国台北、香港、インド、インドネシア、日本、韓国、パキスタン、フィリピン、ベトナムによる |
1961年 | リーグが中止(1975年に再開) |
シンガポール独立と代表チームの活躍 The Lions of ’66
1966年 | バンコクのアジア大会で、独立したばかりのシンガポールが地元タイと南ベトナムを破りベスト4進出!(準決勝でビルマに、3位決定戦で日本に0-2で敗退) |
The Malaysia Cup and the Kallang Roar
1970年代 | マレーシアカップ熱が高まった。 |
1975年 | NFLの改革。100あったリーグ所属チームを30チームに整理し、3つのディビジョンに分けた。 |
1977年 |
マレーシアカップは、1965年以来初めて、シンガポールの手に渡った。
しかしマレーシアカップの人気は、八百長問題につながり、シンガポール国内のNFLも影響を受け、人気は徐々に落ち込んで行った。 |
Out of the Cup and into the S.League
1994年12月 | マレーシアカップでライオンズ(シンガポール代表)が優勝 |
1995年2月 |
FASはマレーシアカップからの離脱を表明。75年間続いた関係終了。
すぐさまプロリーグ創設へ向けてのタスクフォースを結成。1996年開幕を目指す。 「シンガポール・プロフットボールリーグ」というCompanyで運営。8チームのリーグ戦 ※2004年からマレーシアでも「スーパーリーグ(MSL)」がはじまる |